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episode20

麻酔科学の歴史 ORIGIN OF ANESTHESIA

EPISODE OF ANESTHESIA

麻酔科の歴史において、偉業を成し遂げた人々にスポットを当て、その生涯や功績をドラマチックに紹介します。


麻酔器発達史〔2〕
日本で開発された医療機器「パルスオキシメーター」

DEVELOPMENTAL HISTORY OF ANESTHESIA EQUIPMENT AND SYSTEM

人間の動脈血液中に含まれる酸素飽和度(SaO2)が80%以下になると、酸素分圧は40mmHg前後になり、そのままの状態が続くと、生命の危機に関わってくる。そのため麻酔中は、常にSaO2をモニターする必要がある。非侵襲的に酸素飽和度を計るのが「パルスオキシメトリー」で、その装置が「パルスオキシメーター」である。現在の臨床において、この方法が重要な役割を果たすことになる。

※写真は、指先測定型として世界で最初のパルスオキシメーター「OXIMET MET-1471」(1977年発売)
資料提供:コニカミノルタジャパン株式会社


患者の状態を知る重要な役割を担う

臨床において麻酔を行う際には、さまざまな麻酔周辺機器が使用されており、それぞれが必要な役割を担っている。

 今回取り上げるのは、各種ヘモグロビン濃度を吸光度測定により計測する機器「パルスオキシメーター」である。体温計や心電計といった医療機器の多くは欧米で開発されたが、パルスオキシメーターは、1974年に日本光電工業株式会社の青柳卓雄が発明し、1975年にイヤーオキシメーター「OLV-5100」として製品化された。

 この医療機器は、『動脈血は血管内で脈動する』という現象を応用し、血液中の酸素飽和度を測定する。基本的な役割や機能について、以下に解説する。

 ヒトは大気中に含まれている酸素を呼吸によって肺に吸い込む。体内に取り込まれた酸素は、血液中の赤血球内ヘモグロビンと結合する。そして、酸素の一部は血漿に溶解する。それらが血液で運ばれて、全身の細胞に酸素が供給される。

 このようにして運ばれる酸素量は、主にヘモグロビンと酸素の結合の程度(肺の因子)・ヘモグロビン濃度(血液の因子)・心拍出量(心臓の因子)の3つにより左右される。これらの3つの因子によって、体内に搬送される酸素量を知る一つの指針が、動脈血の酸素飽和度であり、体内に充分な酸素を供給できているかの指標となっている。そして、動脈血のヘモグロビンのうち何%が酸素と結合しているかを表しているのがSaO2である。正常値は96%以上とされており、90%に満たない場合は呼吸不全の可能性が考えられる。麻酔中には、酸素飽和度に加えて脈拍数も測定できるパルスオキシメーターは、患者の状態を知る重要な役割を担うことになる。


機器は第二次世界大戦の頃に誕生

パルスオキシメーターは、患者負担が軽く、即時に血中酸素飽和度の測定ができることから、手術時にバイタルサインモニターとして利用されてきた。現在では、診断やスクリーニング、経過観察、自己管理といった多様な目的で利用されるようになっている。

 多目的に使用されているパルスオキシメーターだが、仕組みが考えられたのは早く、1941年(第二次世界大戦の頃)まで遡る。

 当初のパルスオキシメーターの一つは、第二次世界大戦の航空学における研究で開発された。その頃の装置は、ベッドの傍に据え置く非侵襲性のモニタースタイルのものであり、耳朶にヘモグロビンの変化をとらえる波長を含めて2つの波長の光を通過させることで血液中の酸素飽和度を計測した。このことから、「イヤーオキシメーター」と呼ばれた。

 具体的には、アメリカ・カリフォルニア工科大学のミリカムンが、1941年、アメリカ空軍から「パイロットは手を使うので耳で酸素飽和度を計測する機器を作って欲しい」という要請を受けて考案した。その後、日本で改良が加えられ製品化された。パイロットであるから耳を使う以外に方法はなかった。  しかし、当時のイヤーオキシメーターは、事前に耳を圧迫したり測定中に耳を温めたりといったことが必要だった上に、装着して直ぐには測ることができなかった。またプローブ(検出装置)がずれると誤差を生じ、ふたたび耳を圧迫して機器を調整することが必要であるなど、患者への負担も大きかった。こうしたことから広く普及することはなかった。誰でも簡単に確実に、患者の負担・リスクもほとんどなく、装着して直ぐに酸素飽和度を測ることが、より簡単に出来る現在のような機器が生み出されるのには、もう少し時間が必要だった。


現在の機器は日本で今の形になった

パルスオキシメーターが最初に考案されたのは、前述のように1974年、日本においてである。

 青柳卓雄らが、パルスオキシメトリーの理論について発表したのが同年で、翌年の1975年、日本光電工業がイヤーオキシメーターで完全アナログ機の「OLV-5100」を発売した。続いて、1977年にミノルタカメラ(現・コニカミノルタ)から「指先測定型パルスオキシメーター OXIMET MET-1471」が商品化された。なお、MET-1471は、表示部はデジタル表示だったが、基本的にアナログ機であり、本体寸法が120×430×300mm(高さ×幅×奥行)、重量が7.7㎏もあった。その後、1981年、アメリカのOhmeda社とNellcor社がパルスオキシメーターを相次いで発売した。

 このように初期の機器は、大型の据え置き型でアナログ形式のものしかなかった。しかし、1980年代に入るとデジタル化が進められて小型化に成功し、現在に至る機器の原型が生み出された。さらに低価格化も進んだことで、パルスオキシメーターが、麻酔科領域のみならず広く医療現場で使用されることになった。

 現在のパルスオキシメーターは、プローブを指に挟むだけで、皮膚を通して脈拍数と経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定できるものが主流となっている。現在も据え置き型はあるが、軽量・小型化が進んでいる。最新機器では、「パルス CO オキシメーター」による総ヘモグロビン濃度と異常ヘモグロビンのモニタリングが可能になっていたり、パルスオキシメーターから得られる2次情報の表示なども可能になっていたりするなど、さらなる進歩を遂げている。


〈参考文献〉
『医療機械学』Vol.84,No.4「パルスオキシメータの進歩」(真茅孝志著 一般社団法人日本医療機械学学会)〈2014年〉
『ミラー麻酔科学 SIXTH EDITION』(Ronald D.Miller著 武田純三監修/メディカル・サイエンス・インターナショナル)〈2007年〉

〈写真・資料提供〉
日本光電工業株式会社
コニカミノルタジャパン株式会社
日本麻酔科学会



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