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episode19

麻酔科学の歴史 ORIGIN OF ANESTHESIA

EPISODE OF ANESTHESIA

麻酔科の歴史において、偉業を成し遂げた人々にスポットを当て、その生涯や功績をドラマチックに紹介します。


麻酔器発達史〔1〕
最適な気化器を手にするまでの道程

DEVELOPMENTAL HISTORY OF ANESTHESIA EQUIPMENT AND SYSTEM

麻酔器は大別すれば、ガスの供給源、気化器、流量計、人工呼吸器、回路(ソーダライム)などで構成されている。気化器は全身麻酔を可能とする吸入装置であり、気化器の開発が麻酔器の始まりと言える。1846年10月16日(エーテル・デイ)、米国人医学者ウィリアム・モートンがエーテル麻酔による公開実験を実施した際、 使用した吸入器 が最初の気化器と位置付けられよう。それから世界の医学界は試行錯誤を重ね、より安全に麻酔を行える気化器を求めて今日に至るのである。

※麻酔博物館(兵庫県神戸市)にある、世界初のモートンのエーテル吸入器(複製品)。


英国で誕生した気化器の原型

19~20世紀にかけて全身麻酔薬であるエーテルやクロロフォルム、亜酸化窒素(笑気)を安全、かつ効果的に臨床の現場で使用するため、研究者たちは切磋琢磨し創意工夫を凝らしていった。英国のジョン・スノウやジョセフ・クローバーはその代表である。1847年、スノウが最初にエーテル用気化器の原型を開発すると、クローバーはさらに改良を加え、1877(明治10)年、 携帯型調節式エーテル吸入器を発表した。エーテル濃度を定量的に調整することが可能になったという点で、世界初の気化器と考えられている。

 その一方でエーテルは、米国人麻酔科医アーサー・ゲデルが1937(昭和12)年に発明した吸入麻酔の深度表を参考に、1970年代前半までオープンドロップ(開放点滴)法として臨床麻酔に用いられ、とりわけ小児の鼠径ヘルニアなどの全身麻酔に使用されていた。このように麻酔科学の進歩は順調になし遂げられたものではなく、紆余曲折を経てその時々において飛躍がみられたのである。


日本にもたらされたユンケル麻酔器

では、日本に麻酔器(気化器)が導入されたのはいつ頃であったのか。それは1872(明治5)年、京都療病院(現・京都府立医科大学、同附属病院)に招聘されたドイツ系医師 F・A・ユンケル・フォン・ランゲック がもたらしたポータブル麻酔器であった。ユンケルが英国ロンドンに滞在中の1867(慶応3)年に発明したもので、2連球で送気して瓶の中のクロロフォルム(またはクロロメチル)を気化し、患者に吸入させるという仕組みであった。ユンケルの麻酔器は大阪の白井松器械本舗によって輸入されたが、間もなく国産化され何種類かの改良型が製作された。明治から昭和にかけて臨床応用され、ロンドンでは第2次世界大戦時の空襲の最中にも手術で使用されたという。

 しかし、この頃の麻酔器は吸入する麻酔ガス量を調節するのが困難であり、より安全な麻酔器を求めて欧米を中心に開発の努力がなされた。F・W・ヒューイットによる「亜酸化窒素‐酸素吸入麻酔器」(1887年)、R・V・フォレッガーの「ボンベ‐エーテル気化器付き麻酔器」の発明(1923年)など次々に改良型の麻酔器が登場し、現在の麻酔器へとつながるJ・A・ハイドブリンクの「呼気弁‐エーテル気化器付き麻酔器」(1924年)、ソーダライム(二酸化炭素吸収剤)を含む、亜酸化窒素とエーテルの使用が可能なロート・ドレーゲルの麻酔器(同年)へと発展を遂げる。さらに気化器を含めた麻酔器の一層の進歩は、第2次世界大戦後まで待たなければならなかった。


麻酔科医を助けたカッパーケトルの安定性

さて、1930~50年代にかけて次々に 新しい全身麻酔薬 (サイクロプロペイン、トリクロルエチレン、ハロタンなど)が開発される中、気化器も進化を遂げてきた。可変式バイパス気化器が現在の気化器の主流であるが、デスフルラン用の新鮮ガス/気化麻酔薬混合器、ネブライザーのように麻酔薬を霧状にして回路内で気化させるインジェクタータイプの気化器も登場している。現在では、温度代償機構や麻酔薬溢水防止機構などの安全装置が備え付けられるまでになっている。

 しかし古い気化器ではあるが、 カッパーケトル の存在を忘れてはいけない。一部を除いてどのような麻酔薬にも対応し、使用するにあたり各種麻酔薬の蒸気圧の知識と麻酔科医の技能が問われる気化器だからだ。  1951(昭和26)年以降、欧米の麻酔器が輸入されるようになると、これを模倣した国産麻酔器が生産されるようになる。その中で気化器は従来の気泡型から、熱伝導に優れた銅を素材に用いたカッパーケトルが中心を占めるようになった。良好な熱伝導が得られる銅は、気化により奪われた熱を周囲で吸収するのに好適で、揮発性麻酔薬の液温を一定に保つことを可能にした。安定した信頼できる気化器として重宝され、日本では1975(昭和50)年頃まで長らく現役であった。現在、臨床の現場で使われている気化器の技術的な基礎は、1980年代までに確立された。


〈参考文献等〉

・釘宮豊城編『麻酔器』(克誠堂出版)〈2009年〉
・釘宮豊城著『[図説]麻酔器‐構造と機能‐』(真興交易(株)医書出版部)〈1997年〉
・岩崎寛ほか編『麻酔科診療プラクティス 19. 麻酔器・麻酔回路』(文光堂)〈2006年〉
・山蔭道明監修『今さら聞けない麻酔科の疑問108 基本事項から専門医が知っておきたい知識・テクニックまで』(文光堂)〈2017年〉
・松木明知著『麻酔科学のルーツ』(克誠堂出版)〈2005年〉
・松木明知著『麻酔科学のパイオニアたち 麻酔科学史研究序説』(克誠堂出版)〈1983年〉
・G.B.Rushman N.J.H.Davies R.S.Atkinson著 松木明知監訳『麻酔の歴史 150年の軌跡〈改訂第2版〉』(克誠堂出版)〈1999年〉
・(社)日本麻酔科学会50年史編集委員会編『「麻酔」第53巻・臨時増刊号/社団法人日本麻酔科学会50年史』(克誠堂出版)〈2004年〉
・『臨床麻酔』(Vol.42/No.2 2018-2/真興交易(株)医書出版部)など

〈取材・写真提供協力〉
・釘宮豊城 順天堂大学 名誉教授
・牧野洋 浜松医科大学医学部附属病院 麻酔科蘇生科 講師
・松木明知 弘前大学 名誉教授
・麻酔博物館


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